世界一周ダイビングの旅

ダイビングをしながら世界の海を潜りめぐる

 
 

「豪華なクルーズ船」に乗って

世界をまわる「贅沢な世界一周の旅」も、いいですね。


それは、ひとも羨む「贅沢な旅」かも知れません。


しかし、私には、そういう「旅」は、

なんとも、年寄り臭く「爺じ臭い旅」のようで、イヤだったのです。


当時69歳といえば………、

そりゃあ、 もう充分に「年寄り」の「仲間」です。

それは、解っていました。

それでも「爺じ臭い旅」をするのだけは嫌だった。


どうせなら、 好きなダイビングをしながら、

気の向くままに、あちこち世界の海を潜りながら、

勝手気ままに、好きなようにめぐる「世界一周の旅」のほうがいい。



世界の海のサカナたちの映像

海に潜り始めてから覚え趣味で始めた

ハイビジョンビデオで撮りながら………。

ちょうど「60歳代、最後の年の記念」にもなるし………。


とは云うものの………、

「年寄り」の「仲間」なんだから、

「若者たちが出かけるような旅」に出ることは、

もう、ムリです。


すこし、やりくりして、

せめて「ビジネスクラスのフライト」で、

たまには、小洒落たリゾートに泊まったりして……。


(こうなると、ヤッパリ「爺じ臭い旅」に

なんとなくなりますネ……。)


でも、マア、このくらいは勘弁してください。


こんな風に考えて、

準備に、一年程を費やし、

モロモロの、紆余曲折を経て、

とにもかくにも、

2005年10月に成田を出発しました。



旅の締めくくりは、すこし贅沢をし、

カオラックのLe Meridienに、暫く滞在して、

いつも世話になる、地元のガイドのタケシクンが開発した

当時としては画期的だったリチェリユーロックへの

デイトリップに、何回か参加したあと、

2006年4月、無事、第1回目の「旅」を

約半年がかりで終える事が出来ました。



第1回目?

というと「2回目」の

「世界一周の旅」もあるのですか?



ええ。「旅」から帰って、しばらく経つと、

何かの折に、 あの「旅」が楽しく思い出され、

尻がモゾモゾしてきて、どうにも落ち着かない日々が

続いておりました。


2007年に70歳になりました。

70代最初の年を迎えるにあたって、その「 記念事業」に、

そうだ、第2回目の「旅」をしよう。

そう決心する迄にソンナに時間はかかりませんでした。



2度目の旅は、

如何でしたか?



第1回目の旅を終えたカオラックを出発点にして、

第2回目の旅は、先回行けなかった

南太平洋の島々を出来るだけ廻る事にしました。


美しい西オーストラリアのパースで暫く滞在したあと、

そのパースで事業を手広く経営しておられるタカシマさんに誘われて、

New Zealand の北方、文字どおりのノースランドへ

シャチを見に行く事になりました。


この「シャチを見にゆく旅」は、予定には無かったのですが、

たまたまタカシマさんと彼の番頭さんと

カオラックのダイビングを、ご一緒してた、その時、

タカシマさんにゴリ押しされて、断れなくなってしまって、

予定を途中で変更して参加したのです。


しかし誘われて行った、この「シャチを見にゆく旅」は、

1週間、大荒れの天候に襲われて、

いまだかって、体験した事も無い

もう、語るも涙の、 過酷なものでした。


今、あの時の旅の事で、印象に残っているのは、

グラリぐらりと揺れるキャビンで

テーブルの上の大皿が、あっちへ行ったり、こっちに来たりするのを、

必死で追いかけ、押さえ乍ら、喰った

コリコリしたアワビと、なんと云う名前のサカナだったか忘れてしまいましたが、

白身の刺身に、醤油とワサビをたっぷりつけて

喰った、アノ時の「旨かった」サシミぐらいしかありません。







(約束のおタカラは、約束どおり見せましたゾ!と)

シャチを見たあと、また来年、是非、再チャレンジしましょうと、

晴ればれ(ニタニタ)した顔で誘う、タカシマさんの顔など、

ワタシは、もう見る気にもなりませんでした。


でも、アドベンチャー好きな方には、コタエられなかったそうで、

その時、ご一緒した2名の方は、

感激されて、又、翌年参加されたそうです。


シャチの旅を終えたあと、

日本ではナカナカ手配出来なかった、クック諸島、フィジー、トンガ、

タヒチの島々に行く、南太平洋のローカルな航空会社の

航空券の手配をオークランドで、済ませました。


ラロトンガ、アイツタキ(クック諸島)と旅は順調でしたが、

そのアイツタキで、船上のクルーにビデオを手渡した時、

そのクルーに、受け取ったビデオを、

思いっきりダンクに打つけられてしまいました。


そのため、とうとう、次の目的地、ババウ島(トンガ)で、

でっかいクジラを目の前にして、

遂に撮影が出来なくなってしまったのです。


トンガから、ソニーに国際電話を、何回もかけて

何かいい方法は無いものかと相談しては見ましたが

南の島に居ては、如何ともしがたく、

ビデオ無しで、このまま旅を続けようかと、

その時、迷いにまよいました。


先回の旅でカメラとビデオの両方を持ち回るのは、

エクセスチャージを各地で要求され、金ばかりではなく、

支払いの手続きで、とんでもなく手間ヒマがかかり、ストレスのもとでしたので、

RSは、2回目の旅では、持って出ませんでした。


だから、ほかに「旅」を記録する術もなく

断腸の思いで、「旅」を続けることを断念せざるを得なくなって

泣く泣くオークランドで航空券を手配して帰って来てしまいました。



懲りずに、出かけた、

3回目の「旅」も、

無事終える事が出来ました。




2008年は、72歳の年男。

「記念事業」には、またとないチャンスの年でした。


ペリリュー島へダイビングに行った帰り、

グアダルーペ島(メキシコ)にホホジロザメを見に行きませんか?

と、パラオの「ショーコ姐さん」に誘われました。



初めての「世界一周の旅」の時は、

スタートをメキシコだった。

……「あのときの旅」に、思いを馳せると、

あと先も考えず「とにかく」手慣れたメキシコから、

又もう一度スタートしよう。


誰に相談もせず(内心ずーっと迷っていたのですが)

72歳の年男の「記念事業」にと、

ひとりできめて、決行することに、

決心してしまいました………。


ーーーーー

08年、南の島から帰ってから、

ずっと、行こうか、行くまいか、決行するか?しまいか?

(本音は、決行するかどうか、の迷いではなくて、

世界の海を、どういう廻り方をしたらよいか、

どういう旅にしたらいいか、

迷いに、迷よっていただけです。)


迷いの、まっただ中にいたワタシは、

その迷いを吹っ切ろうと、

あちこちダイビングの旅を精力的に続けました。


2008年に入ってから、ホントに大忙し。

カオラック、ーーー、

ペリリュー島とコロールの滞在、

ヤップ島滞在、

モルデイブのリゾート滞在。


この時は、2週続けたサファリで、

1600本目の記念ダイブを祝ってもらったりして、

その後、またリゾート滞在。


一旦帰国して、家族総勢11名!

引き連れての久米島で、大騒ぎの夏休み、

お盆に、ご先祖様の供養をすませ、

連日の酷暑に耐えかね、

Dumagueteに約2週間脱出。


と、もう多忙を極め、世界一周の、旅程をくむ時間もない。


それでもカボサンルーカスとラパスを皮切りにメキシコから

廻る手配を、完了させており、

そのあとで、パラオで、上記のお誘いをうけたのです。


ホホジロ鮫の誘惑には勝てなく、またまた大騒動をして、

サンデイエゴから現地参加させて貰うことにした。


こんな訳で、私の第3回目の「旅」は、どうも

結果的に、ぶっつけ本番の「世界一周の旅」になってしまった。



3階目の「旅」は、時々日本に帰国しながら、全行程を約8ヶ月くらいかけて、

ゆっくりと、無理をしない「一周の旅」になった。


そんな訳で、

第3回目の

ダイビングをしながら、

世界の海を潜りめぐる「世界一周の旅」


は、グアダルーペ島(メキシコ)でホホジロザメに、

まずお目にかかって、

スタートを切った。



2008年11月頃から2009年の3月まで、

パースで、真夏のオーストラリヤの長い夏休みを堪能。

途中、南オーストラリアのポートランド沖へ

シロナガスクジラを見に連れていって貰った。


新しく発売されたビデオのFX1000を浜口先生の口添えで購入し、

オークランドから急遽帰国したものの、

ハウジングを特注したフィッシュアイで、

化け物のようなヤツが出来上がり、

失意に打ちのめされた4月。


テープのビデオでの様々な限界に不満を持ち、

ちょうど発売されたばかりのデジタルのXR520に買い替え、

必死の猛特訓でテクを身につけ

2009年の夏は、越智さんに頼んでババウ(トンガ)で

クジラを追いかけた。

楽しく素晴らしい体験ではあったが、

クジラを追う際のフィンワークの辛さは”若い”私には辛かった。


この時にお目にかかったボートで世界一周をされていた

「チナミ」さんにお目にかかった事、

世界的に著名なアモス氏に思い掛けなく巡り会えた事、

など、忘れられない思い出が一杯だ。


その後、サモアを経由してロスアンジェルス、グアダルーペ、カボサンルーカス、

ロスに戻って、NY、フランクフルト、モルデイブ、その後タイなどなど巡り、

2009年の暮れに、

もう、どうしても我が家の「お節料理」

喰いたさに勝てず、帰国した。






(注)文中の、白ぬきの太文字は、

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何が動機で、世界の海を、潜り、めぐる、

「旅」にでかけようとしたのですか?